夏の風物詩として親しまれるセミが、今、日本各地で乱獲されていることをご存じでしょうか? 近年、公園でのセミの大量捕獲が相次ぎ、行政や地域住民の間で懸念の声が広がっています。 かつては自然観察や自由研究の対象だったセミも、今ではその存在が危ぶまれるほどの過剰採集にさらされています。 この記事では、セミ乱獲の実態と背景、文化的意味、そして私たちが取るべき行動について詳しく解説します。
日本各地で広がるセミ乱獲の実態
ここ数年、東京都内をはじめ全国の都市部の公園で「セミの乱獲」が問題視されています。 特に話題となったのが、深夜に懐中電灯を片手にセミの幼虫を大量に採取する光景です。 SNSではその様子が動画や写真で拡散され、特定の国籍や観光客に対する批判が目立つようになっています。
2020年には、東京都杉並区の複数の公園で「セミの捕獲はやめてください」と記された多言語の看板が設置され、多くのメディアに取り上げられました。 特に懸念されているのは、一晩で数十匹以上の幼虫が採られるという、明らかに常識を超えた行為です。 このような事例は埼玉県や大阪府などにも広がっており、全国的な課題として認識されつつあります。
なぜセミが乱獲されるのか?背景と動機
食文化の違いによる採集
中国など一部の国々では、セミの幼虫は高級珍味として人気があり、滋養強壮に良いとされています。 日本の公園で簡単に見つけられるセミは、訪日観光客にとっては“天然の食材”と見なされているのです。 実際に観光客が袋いっぱいのセミを持ち帰ったとの目撃情報も複数寄せられています。
昆虫食ブームの影響
近年注目されている環境にやさしいタンパク源としての「昆虫食」。 セミもその一つとして「どんな味か試してみたい」という興味本位で採集されるケースが増えています。 SNSや体験イベントをきっかけに、一時的な流行として大量採集に至る例も見られます。
商業目的と抜け殻ビジネス
セミの抜け殻は「蝉退(せんたい)」として漢方薬に用いられ、止痒や解熱、咽頭炎の緩和に効果があるとされ、中国を中心に高い需要があります。 東南アジアでは、抜け殻を集めて生計を立てる“セミハンター”も存在し、1kgあたり数千円〜数万円で取引されることもあります。
日本国内でもネットオークションやフリマアプリで「セミの抜け殻セット」が出品され、自由研究やコレクター向けに売買されています。 特に希少種や形のきれいな抜け殻は高値が付き、経済的価値が乱獲を後押しする一因となっています。
セミと日本文化:音・記憶・情緒
セミは俳句の季語にもなるほど、日本人にとって夏の象徴です。 ミンミンゼミの朝の鳴き声やヒグラシの夕暮れの音色は、多くの人にとって夏の記憶そのものです。
平安時代の文学にも登場し、和歌や物語の中で季節感や儚さを象徴する存在として描かれてきました。 また、子どもたちの自由研究や「セミの羽化観察日記」は、親子で自然とふれあう貴重な経験となっています。 こうした文化が崩れることへの危機感が、セミ乱獲に対する強い懸念につながっているのです。
行政や自治体の対応と課題
各自治体では以下のような対策が講じられています。
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多言語の注意喚起ポスターの掲示
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公園条例による採取制限の明示
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巡回パトロールと現場での口頭注意
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啓発イベントや教育活動の実施
しかし、捕獲数に明確な上限がなく「良識の範囲内」といった曖昧な規定では実効性に限界があります。
一部では、「昆虫にも漁業権のような制度を導入すべき」「採集可能な期間を設定すべき」といった提案も出ています。 国籍や文化を問わず、自然との共生を前提にしたルール作りが求められています。
セミにまつわるエピソードと社会の反応
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漢方薬としての需要
中国では「蝉退」が止痒や抗炎症に使われ、需要は高まる一方です。日本のネットでも「抜け殻セット」が話題になりました。 -
セミ会の開催と食体験
「セミ会」ではセミを揚げて食べる体験が行われ、参加者から「意外と美味しい」と好評。ナッツのような風味とも言われています。 -
SNS上のユーモア
「セミが鳴かないのは外国人に食べられたから?」という冗談も見られ、セミが日本人の感情に深く結びついていることがうかがえます。
今、私たちにできること
セミ乱獲の問題は、文化や自然との共存を問い直すきっかけです。 まずは、公園の掲示に目を通し、子どもたちにマナーを伝えるところから始めましょう。
また、環境学習イベントに参加し、正しい知識を身につけることも大切です。 地域でできる小さな行動が、次世代の自然体験を守る大きな一歩になります。
まとめ
セミの乱獲は、単なるマナー違反ではなく、日本人の自然観や季節感に直結する重要な問題です。 夏を彩るセミの声が聞こえなくなる未来を避けるために、私たち一人ひとりが意識と行動を変えていく必要があります。 観光客が増える中、多文化共生と自然保護のバランスを保つ知恵と工夫が、これからますます求められていくでしょう。
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